政治家についての情報をまとめるサイト
をご覧下さりありがとうございます。
今回は、総務大臣・林芳正氏の家系図について。
林家には、華麗なる一族が満載ですので、ぜひご覧ください。
林芳正の家系図

林芳正の家族
- 林芳正(本人)
- 妻・裕子
- 長女・温子
- 次女
妻・裕子さん


着物がとてもお似合いの綺麗な奥様ですね!!!
奥様の裕子さんは、190年続く医師の家系出身で、東京大学医学部保健学科を卒業し、医療統計学を専攻されています。
日本IBM勤務ヤマサチューセッツ工科大学(MIT)の博士修士を取得し、その後、東京大学大学院で博士号を取得しています。
現在は、山口大学大学院技術経営研究科の特命教授として、研究と教育に携わり、JCRファーマ株式会社の社外取締役も務めています。


娘・二人
林大臣の娘さんは、長女・次女のお2人です、次女については公表されていません。
長女・温子さんは、早稲田大学大学院法務研究科(ロースクール)を修了し、司法試験に合格されています。
ネット上の「弁護士では?」という情報があります。
(ロースクール)を修了と司法試験合格の報道を根拠にした「可能性」というものであり「公的に弁護士登録が確認されている」とまでは、言い切れない状況です。
ここからは、林芳正氏の父・義朗氏と、母・万里子さんについての家系図をお話していきます。
父方「代々の国会議員を持つ政治一家」


最初に、林家の家系のお話です「父方は3代続く政治家一家」なので、見ていきましょう。
父・林義朗氏
林家は政治の名門家系で、特に林義郎氏がその中核を成っています。


- 名前:林義朗(はやしぎろう)
- 生年月日:1927年6月16日
- 享年:89歳
- 没日:2017年2月3日
- 出身地:山口県下関市貴船町出身
東京大学法学部卒業されています。
1969年、自主公認で旧山口1区から立候補、初当選(衆議院議員11期)
田中派に所属し、国際金融政策や慎重調査に深く関与し党内でも政策通として知られていました。
1982年、第一次中曽根内閣で厚生大臣に就任。
1992年、宮沢改造内閣で第97代大蔵大臣に就任。
歴代総理大臣とともに日本の政治を支える中で、林氏は堅実で穏健な政治家として党内外から信頼を集め、その影響力は政界の内なる一人として言っていいでしょう。
祖父・林圭介
- 名前:林佳介(はやしよしすけ)
- 生年月日:1900年7月18日
- 享年:87歳
- 没日:1987年11月9日
- 出身地:山口県下関市


東京帝国大学法学部を卒業後、家業である醤油醸造業を営む林家に孫養子として入りました。
日本進歩党に所属し、1942年に衆議院議員に初当選しています。
山口県下関市の地域に根差した実業家であると同時に、政治家としても活躍した人物でした。
林平四郎
- 林平四郎(はやしへいしろう)
- 生年月日:1857年12月26日
- 享年:83歳
- 没日:1941年12月11日
- 出身地:山口県下関市赤間関


林家の歴代当主は、江戸時代から続く「山口県下関の大津屋」という醤油醸造業を営む商家の出身です。
大津屋は1717年(享保2年)に創業されて以来、地域に根差した老舗企業として発展してきました。
初代は平次郎氏で、赤間関(現在下関)に移住し商売を始めまて、家業を拡大します。


4代目の平四郎氏は「明治期に家長の権威を継承し、醤油醸造業を営んだ」ほか「生蝋製造や割烹旅館業」なども手掛け、地域の実業家として活躍しました。
林芳正さんの家系は、代々山口県下関市で政治と実業を支えてきた名家です。
林芳正さんは「4代目として政治の道」を歩み、外務大臣や文科大臣など重要な役職を担っています。
その歴史と責任を踏まえ「未来を見据えた判断力」を持つリーダーとしてご活躍されるでしょう。
母方「宇部興産創業家」


林氏の母親は、宇部興産の創業家として知られ「政治と経済の両分野で強固な基盤」を持っています。
次は母親の家系についての説明です。
母の家系は実業家
万里子さんは、宇部興産(現UBE)の創業家・俵田家の出身とされています。




曽祖父にあたる人物として、宇部興産の前身企業を起こした俵田明が挙げられ、山口の産業発展に大きな影響を与えた実業家とされています。
木戸家とのつながり
母方・兄の奥様(和子さん)も名家
万里子さんの親族に、木戸武氏(きどたけし)がいます、林芳正さんの母方・万里子さんの兄です。
木戸武氏は和子さんと結婚し、木戸家の婿養子にきており「木戸孝允(桂小五郎)家系」と繋がっています。
和子さんは、女子学習院出身で、女官長を務めた経験があります。



奥様・和子さんの家系も名家ですので、紹介しますね。
和子さんの父親
和子さんの父親は、木戸孝彦氏です。
孝彦氏は、日本の弁護士であり、政治家系に生まれた人物です。
幕末の志士である小五郎(後の木戸孝允)のひ孫にあたり、父は木戸幸一で、父の東京裁判における弁護を担当しました。
自身は弁護士として活動し、後にJAF副会長や富士ゼロックスの取締役を務められました。。



政治的な影響力のある家系出身でありながら、法律実務に力を入れた肩書きを持っている方ですね!!
和子さんの祖父
和子さんの祖父は、木戸幸一氏です。
- 名前:木戸幸一(きどこういち)
- 生年月日:1889年7月18日
- 享年:87歳
- 没日:1977年4月6日
- 出身地:東京府東京市赤坂区新坂町(現東京都港区)


1915年に農商務省に入り、蚕糸業や水産業の行政などを担当されていたようです。
1917年に父の死により侯爵を継ぎ貴族院議員となり、商工省では産業合理局の局長など要職を歴任しました。
1940年6月には内大臣に就任し、昭和天皇の側近として宮中政治の中心に立ちました。


内大臣在任中は、東条英機内閣の成立に深く関与し、重臣会議の幹事役として、しっかりと検討するなど政治の重要事項に大きな発言力を持っていたそうです。
妻は陸軍大将・児玉源太郎の娘で、二人の間には、5人の子供がいます。
和子さんの曾祖父
がず子さんの曾祖父は、木戸孝正氏(はやしたかまさ)です。
- 名前:木戸孝正(きどたかまさ)
- 生年月日:1857年9月14日生まれ
- 享年:59歳
- 没日:1917年8月10日
- 山口県


和子さんの曾祖父・木戸孝正氏は、日本の宮内官、政治家で華族(侯爵)でした。
長州藩士の来原良蔵と木戸孝允の「妹・治子の長男」として生まれました。
木戸孝允の妹治子の子で、養子として木戸家を継いだ人物で、侯爵・東宮侍従長を務めました。
1890年から貴族院侯爵議員を務めたそうです。
和子さんの高祖父
和子さんの高祖父は木戸孝允氏です。
- 名前:木戸孝允(きどたかみつ)
- 生年月日:1833年8月11日
- 享年:43歳
- 没日:1877年5月
- 出身地:長門国萩城下呉服町(現山口県萩市)
幕末から明治時代にかけて活躍した日本の政治家で、維新の三傑の一人です。
長州藩出身で、幼少期に桂家の養子となり「桂小五郎」とも知られています。


名前がなぜ違うのか?養子に入り変わったほかに・・・
桂小五郎は幕末のリーダーとしての名前
木戸孝允は明治新政府の政治家としての正式な名前という違いもあるようです。
そして、孝允氏には男子はおらず、実子の「娘の木戸好子」は、若くて亡くなってしまいました。
後に、妹・治子の長男・孝正氏を養子にします。
木戸家は養子を迎えて家系を継承しつつ、政治や実業の分野で影響力を持ち続けている名門家系です。
養子制度で育てながら、名門家系として存続し、歴代政治家や実業家を輩出してていたそうです!
いかがでしたか。
今回は、総務大臣・林芳正氏の家系図のお話でした。
まさしく「政治と経済の名門一族」ですね!!














コメント