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日本維新の会・共同代表である藤田文武さん。
教師から海外留学、そして企業を経て政界へ。
その独自のキャリアが国政の舞台でも異彩を放っています。
では、藤田文武さんとはいったいどのような方なのでしょうか?
今回は、
・プロフィール
・藤田文武の経歴
についてご紹介していきます。
藤田文武のプロフィール

まずは簡単なプロフィールから。
- 名前:藤田文武(ふじた ふみたけ)
- 生年月日:1980年12月27日
- 年齢:44歳(2025年10月時点)
- 出身:大阪府寝屋川市
3歳から空手道に入り、礼儀には厳しく育てられたという藤田文武さん。
小さい頃から「スポーツ大好き少年」だったとのこと。
空手だけでは体力を持て余し、中学時代からはバスケットボールやラグビーなどにも打ち込んできたそう。
自身の公式ブログでは次のように語っています⇩⇩
父の影響で3歳から空手道をはじめ、礼儀には厳しく育てられました。毎週の稽古は厳しすぎて初めは少し嫌でしたが、武道を通じて強く逞しく育ててくれた両親に感謝しています。
引用元:https://fumitakefujita.com/profile
経歴 ~起業家として~

続いてご紹介するのは、政治家になる前の藤田文武さんについて。
大学卒業後~企業経営までの経歴を纏めてみました⇩⇩
- 2004年:大阪府立の高等学校にて保健体育科講師として勤務
- 2005年:スポーツマネジメントを学ぶために海外へ渡航
(オーストラリア、ニュージーランド) - 2006年:スポーツマネジメント関連のベンチャー企業に勤務
- 2010年:株式会社KTAJを設立して代表取締役就任
高校で非常勤講師、その後海外へ

筑波大学学生時代、就職活動をするも、第一志望の広告代理店の最終面接で落とされたそう。
意気消沈しつつ、母校である四條畷高校を始め複数校で保健体育科の講師として勤務。
1年かけてお金を貯め、ニュージーランド(ウェリントン)とオーストラリア(ゴールドコースト)に渡航。

出典:https://ja.wikipedia.org/

出典:https://au-ryugaku.com/
スポーツビジネスに関わる仕事をしたい!という思いで、
- ≪オーストラリア≫
ワーキングホリデーで英語を習得 - ≪ニュージーランド≫
スポーツの専門学校
を目指します。
ベンチャー企業を経て独立起業

帰国後、スポーツ関連のベンチャー企業にて3年間勤務。
執行役員兼マネジメント事業本部長を経て、独立することを決意。
株式会社KTAJを設立します。
倒産危機の険しい道のり

28歳で独立を目指した藤田文武さん。
根拠のない自信に満ちあふれていくつかの事業を手がけていったそう。
でも、現実は厳しく数か月のうちに全ての事業に失敗。
手持ちのお金が尽きてしまうという事態に直面することに。
日銭を稼がないと従業員の給料はおろか、自分の生活費すらままならない。
引用元:https://tsukubaway.com/
勤め人なら会社が守ってくれるけども、独立したら誰にも守ってもらえない、そんなシビアな現実を目の当たりにしました。
恥を忍んで、お世話になってきた関係先の社長に頭を下げにいったそうです。

来月は売上げゼロです。貯金もゼロです。
なんでもするので仕事をください。
何人かの先輩経営者に助けられ、最終的には従業員100名弱の会社にまで成長させた藤田文武さん。
『企業経営は政治家になるためのステップ』
という安易な考えで乗り切れるほど甘い世界ではなかったと言います。
数人の先輩方が助けてくれたところから、私の本当の実業家人生はスタートしました。
引用元:https://tsukubaway.com/
経歴 ~政治家として~


続いては、政界入りしてからの藤田文武さんについて。
その活動経歴をまとめてみました⇩⇩
- 2012年:維新政治塾一期生として入塾
- 2017年:日本維新の会公認で衆議院選挙に出馬
- 2019年:衆議院議員補欠選挙(大阪12区)初当選
- 2021年:日本維新の会 幹事長に就任
- 2025年:日本維新の会 共同代表に就任
「スポーツ・医療・介護等」の分野で複数の会社経営をしていた藤田文武さん。
政界入りきっかけは維新政治塾への入塾でした。
政治経験が浅いのを武器に


議員歴わずか2年半で”日本維新の会 幹事長”就任。
「常識外れの人事をして早晩失敗するだろう」という声も多かったとのこと。



経験が乏しいのなら、政治の世界に染まっていないことを長所にしよう。
とういう発想にたどり着いたそうです。
「政党を経営する」というテーマを政界に持ち込もうと試みます。
これまでの政治の常識にとらわれることなく、自分の得意分野で勝負しよう。
引用元:https://tsukubaway.com/
自分は民間経験が長く、経営実務にどっぷり浸かって苦労してきたキャリアがある。
民間感覚の問題意識を正面からぶつけて党の運営に生かしてみよう──そう割り切った
現実を受け止めた上での逆転の発想が、功をなしたのですね!
政治家を目指したきっかけとは?
民間企業経営者から国政政党へ、という異色の経歴を持つ藤田文武さん。
政治家を目指したきっかけを3つ、纏めてご紹介します。
きっかけ1:父からの手紙


『人の5倍努力して、世の中のために働きなさい』
大学1年生の時、今は亡き父から、熱い手紙をもらったそうです。
昔気質の非常に気難しい父で、すごく厳しかったですが、常に芯が通っていた。
https://fumitakefujita.com/
強さを兼ね備えた優しさがあった。
今となってはとても影響を受けていることをことあるごとに実感しています。
この手紙で人生について考えるようになり、政治家への道を意識し始めるようになったと言います。
きっかけ2:9.11のアメリカ同時多発テロ事件


世界の激動を目の当たりにしたという藤田文武さん。



これからはこの大きな渦に日本も巻き込まれていくという直感があった。
足元から支える力となりたい、指導者になりたいと考えたのだそう。
じゃあ指導者って何だろうと思った時に浮かんだのが、「政治家」「教員」「経営者」の3つだったと言います。
きっかけ3:橋下徹氏から受けた影響


藤田文武さんは、橋下徹氏との関係を、選挙ドットコムの動画で次のように語っています⇩⇩
橋下さんは、維新の会の創業者で、スピリッツを体現してきた人。
私も橋下さんに感化されて、維新の会の門を叩いた。
実績やエネルギーの出し方は尊敬しているし、目指したい。
引用元:https://go2senkyo.com/
経営者となり、あらゆる規制が企業の足かせとなっている現状を思い知らされたという藤田文武さん。
規制にあえぐ大阪の一経営者だった時に現れたのが、大阪維新の会。
ダイミなックな改革志向を持つ政治集団、それを見定めたいという気持ちもあったそう。
2012年に維新政治塾に参加したのが、人生の転換となったと言います。
共同代表としての藤田文武氏
吉村洋文代表とともに共同代表として改革の最前線に立つ藤田文武さん。
YouTubeの「Re Hac」で、吉村代表は藤田文武さんについて次のように語っていました。⇩⇩


一方、藤田文武さん自身は
”共同代表なのであまり前に出ないように意識している”
とのこと。
”代表を支える立場を守りながらも、国会議員団をどう動かしていくか?というのを背負っていく”
と語っています。
表舞台を支える裏舞台。
それぞれの役割を理解した上での戦略的な視点なのかもしれませんね!
以上、藤田文武さんの経歴についてご紹介しました。
経営人としての側面と政治家としての側面を併せ持つ藤田文武さん。
冷静かつ迅速に動くその姿勢が、日本を次のステージに導いてくれることを期待しています!











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