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本日は岐阜県郡上市の市長である山川弘保氏について。
郡上市長になるまでの彼の経歴や学歴、学生時代のエピソードなども紹介していきたいと思います。
山川弘保|プロフィール
まずは山川弘保氏の簡単なプロフィールから。
- 名前:山川 弘保(やまかわ ひろやす)
- 生年月日:1959年6月29日
- 年齢:66歳 ※2026年5月時点
- 岐阜県郡上市
新人候補として初当選
山川弘保氏は2024年4月11日より、岐阜県郡上市の市長をされています。
それまで医師として郡上市民病院に勤めておられました。
市長選初立候補で初当選をされています。⇩

山川弘保の学歴
ここからは山川弘保氏の学歴について。
学歴を一覧にすると次のとおりです。⇩
続いては、それぞれの学校や学生時代のエピソードなども見ていきたいと思います。
高鷲小学校

山川氏は岐阜県の郡上市立高鷲小学校を卒業されています。
名前のとおり、郡上市にある公立の小学校。⇩
2026年に公務で母校の高鷲小学校卒業式に出席され、その時の様子をインスタグラムで投稿されています⇩⇩
55年前にご自身が卒業式を迎えた同じ体育館での祝辞・・・感慨深いものがあったかもしれませんね。
エピソード
山川氏の自宅からは隣の集落にある小学校まで、同級生の裕子ちゃんと二人で登校していたそうです。
当時は先生一人きりという小規模小学校の高鷲小学校。
山川氏を含め一年生が6人と2年生が8人の複式学級で、お昼は母親が2人組になって味噌汁を作りに来てくれていたそうです。

へ〜、なんだか素敵ね♪
山川氏は当時のお味噌汁に感銘を覚えたようで、



今でもあの味噌汁の味は格別です。
とインタビューで語っておられます。
高鷲中学校


山川氏は郡上市立高鷲中学校を卒業されています。
こちらも、小学校同様に郡上市の公立中学。
卒業した小学校からもほど近い距離に位置しています。⇩
エピソード
中学2年生からはバレーボール部に所属していたという山川氏。
当時の顧問の先生が今の時代では考えられないほどの鬼顧問だったようで、山川氏も何度も頬を腫らしてしまうことがあったとか…。



今の時代ではNGだね…
ただ、非常に厳しい教えの甲斐あってか高鷲中学校バレーボール部は全国大会に出場するほど強豪校になっていったようで、岐阜県内では負け無しだったそうです。
さらに冬になると、ノルディックスキーの一種である距離競技スキー部に所属していた山川氏。
そこでの顧問もバレーボール部でしごかれた鬼監督と同じ方だったようで、スキーでも厳しく指導された山川氏はバレーボール同様に全国大会に出場しています。
そんなことから下校時間は20時半だったそうで、峠を超える山道の帰りには懐中電灯が必須だったようですよ。
郡上高等学校


山川氏は群馬県立郡上高等学校を卒業されています。
こちらも小・中学校同様に公立の学校です。
この郡上高等学校の偏差値は46~53とされています。(2026年時点)


エピソード
前述のとおり、中学生時代はバレーボール少年だった山川氏は高校に入るまでは、



全然勉強とかはしたことなかったですね…
と自分で言ってしまうほど。
それ故に高校に入って最初の試験を受けた際に、



こんなに勉強しなくちゃいけないのか…。
と驚いたそうです。
そして、自宅で勉強に励もうと勉強机に向かっても、椅子に座るとどうしても眠たくなってしまうという高校生時代の山川氏。
しかし、勉強をしないとダメだという危機感は変わらなかったそうで、勉強机で眠たくならないようにするためにまず勉強机で漫画を読むということから始めたそうです。



とんでもない発想だな…!
ちなみに、その時に山川氏が漫画を購入したというマタビシ書店は今でも営業を続けておられるようです。⇩
岐阜大学医学部


山川弘保氏は岐阜大学の医学部を卒業されています。
言わずもがな医学部ということで山川氏がどれ程優秀な成績だったかが分かるかと思いますが、同大学医学部の偏差値は『東進ハイスクール』のデータによると、60~68とされています。(2026年時点)


看護学部もあるようで、
- 医学部医学科:偏差値68
- 医学部看護学科:偏差値60
となっています。(2026年時点)
医学部を目指したきっかけ
大学にいって郡上では見れないものをみたいという気持ちが強かったという高校生時代の山川弘保氏。
また、ご両親から『医者になってほしい』というような言葉も言われたようで、ご自身の思いとご両親の希望もあって、岐阜の中でも大きな大学である岐阜大学医学部への進学を決めたそうです。
結果、浪人生活を送ることとなったようですが、勉強に勉強を重ねて同大学医学部に入学しました。
エピソード
大学生時代は大学病院の裏にあるお風呂屋さんに同大学生の3人と一緒に下宿をしていたという山川氏。
山川氏ら学生からの下宿代が貯まると、お風呂屋さんのご夫婦は京都や奈良などに旅行に連れて行ってくれるほど大変親切な方だったようです。
お風呂屋さんのご夫婦はもうお亡くなりになられているそうですが、山川氏はそのご夫婦を今でも里親のような存在だと思っているそうです。
山川弘保の経歴
岐阜大学医学部を卒業後は、岐阜市民病院脳卒中センター長などを経て、平成23年から郡上市民病院で勤務。
脳神経外科部長兼救急科部長などを務めておられます。
岐阜市民病院には診療科の数が非常に多く、2026年現在は
・循環器内科 ・脳神経内科 ・腎臓内科 ・消化器内科 ・血液内科 等を含む
計11診療科
・外科 ・乳腺外科 ・脳神経外科 ・整形外科 ・形成外科 等を含む
計15診療科
から構成されています。
その他、「検査と治療を目的としたセンター」や「サービスサポート部門」「診療情報等提供部門」なども充実しており、病院の規模の大きさが伺えますね。
この中でも、山川氏が標榜していた診療科目は10にも及んでいたそうです。
ちなみに、ご本人によるインタビュー動画には次のようなコメントがあります。⇩
山川先生 岐阜市民病院に緊急入院1ヶ月間父が大変お世話になりました。
市長のご活躍を祈念 します。
たった一つのコメントですが、山川氏が医師としてどのように患者に向き合ってきたのかが伺えますね。
岐阜市民病院の脳卒中センター長を務めた後、平成23年から郡上市民病院へ移動。
郡上市民病院では脳神経外科部長兼救急科部長などを務めてこられたそうです。
ちなみに…
ちなみに、岐阜大学生だったころの山川氏は東京女子医大の消化器外科を目指していたといいます。
しかし、大学時代の脳外科の先生から直接電話があったそうで、



お前な、岐阜大学を卒業しておいて、東京へ行くとは何事や。地元に貢献せんかい!
と叱咤されたそうです。
その先生からの電話がなければ、今頃東京の病院で活躍をされていたかもしれませんね。
今でも、山川氏はその先生のことを恩師と慕っておられます。
まとめ
以上、山川弘保の経歴・学歴について纏めました。
医師の時は「どれだけ早く異変に気付き、即時判断で治療方針を切り替えられるが患者の生死を分ける」現場に立っていたといいます。
郡上市の未来を考えた時、「決断できずに様子を見ている」市政に危機感を感じ、市長を志す決意を固めたのだそう。
医療の現場でも自分の政治姿勢でも、”誰かの命を支えるために行動する”という想いは変わらないと言う山川氏。
頼もしいですね。
今後のさらなる活躍に期待しています。









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