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今回は日本共産党 所属衆議院議員、田村智子氏について。
どのような方?若い頃はどんな感じ?政治家になった原点など、エピソードを交えながら説明していきます。
ぜひ、最後までご覧くださいね。
田村智子のプロフィール

名前 | 田村智子(たむら ともこ) 通称:たむとも |
生年月日 | 1965年7月4日(59才) |
出身地 | 長野県小諸市 |
家族構成 | 夫、一男一女の4人家族 |
出身校 | 1977年:長野県小諸市立野岸小学校 |
1981年:長野県小諸市立小諸東中学校 | |
1984年:長野県野沢北高等学校 | |
1988年:早稲田大学第一文学部卒業 |
1993年に民青同盟で出会った男性と結婚。

一男一女に恵まれ、過去に自身のコラムやSNSで、子どもたちの成長や日常について触れています。
政治活動
2010年、第22回参議院議員通常選挙で比例区個人得票第2位となり、初当選。
2015年、日本共産党中央委員、同女性委員会副責任者に就任。
2016年、日本共産党副委員長、常任幹部会委員に選出、同年7月第24回参議院議員通常選挙で当選。
2020年、日本共産党政策委員会責任者に選出。
2022年、第26回参議院議員通常選挙で当選。(3選)
2024年、日本共産党中央委員会幹部会委員長に就任。
同年10月15日、第50回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックから単独1位で立候補。
立候補に伴い参議院議員を自動失職になります。
10月27日の投開票の結果、日本共産党は同ブロックで1議席を獲得し田村氏は衆議院議員に初当選しました。
田村智子の若い頃
ここからは、田村氏の若い頃について。
若い頃にどのような時を過ごしたか時代別に説明していきます。
- 学生・青年時代
- 党職員・議員秘書時代
- 政界へ進出
幼少・学生時代
田村氏は文房具店の娘だった

実家は文房具店(山崎屋文具店)。
現在はリノベーションして、受け継がれた方が当時のものを残しつつ、お店の名前までそのままに使ってくださってるそうです。
⇩⇩田村氏が現在のお店や幼少期の様子を語っていますよ⇩⇩
〒384-0014 長野県小諸市荒町2丁目6-7
素敵な雑貨屋さんになっています。
小学生
本が大好きで、唯一の市立図書館が自宅から5分程度のところにあったそうです。
日曜日の午後は図書館で子ども同士で紙芝居を演じることもあったとか!

小学校4年生で合唱クラブに入部。

この合唱が後に学生人生と共に歩んでいくことに!
朝、昼、放課後と毎日、夏休みも弁当持参で一生懸命練習でしたそうです。
遊びたいお年頃なのに好きなことに没頭できることは素晴らしいことですよね!!
そして小学校5年生のとき、NHK合唱コンクールで長野県代表になりテレビ放映のためNHK長野放送局で、録画撮りも経験しています。
田村氏は第42回のNHKコンクールに。
今年(令和7年)で第92回という由諸あるコンクールです。
中学時代
中学も合唱三昧の日々を過ごしたそうです。
女性ばかりの合唱で、3年生のときにどうしても「混声合唱で歌いたい・・・」と男子をスカウト。
変声期の男性たちを悩ませながら、辞めたいという人にも手紙攻勢でひきとめて文化祭まで付き合わせたんだとか!
高校時代
高校も合唱部に所属しています。


合唱活動に打ち込みつつ、平和や社会問題への関心を深めた時期だったそうです。
修学旅行では広島訪問や、平和教育の影響も受けています。
政治活動や社会運動への関心は、この頃から芽生え始めたのかもしれませんね!
修学旅行時代の田村氏!⇩⇩


大学時代
大学では、早稲田大学混声合唱団に入り毎日が歌、どこにいても歌、という日々を送っていたそうです。
プロの声楽家によるボイストレーニング、プロ指揮者「本格的な合唱とはこういうものか」と感化され、サークル活動に没頭していたようですよ!
田村氏はホントに歌がお好きなのですね!!


合唱以外では、学費値上げ反対運動などに取り組み、日本民主青年同盟(民青)に参加。
この時に日本共産党との出会いがあったそうです。
活動していく中で【1980年代半ばの米ソによる核兵器開発競争】に対する強い危機感が田村氏にはあったとされています。
このきっかけが「政治家」を目指す1歩に繋がっているようですね!
党職員・議員秘書時代
党職員時代
大学卒業後、民青の専従職員となり、東京都委員会や中央委員会に勤務。
当時はバブル景気下で一般的な就職先とは違い給料も安く、職場環境も決して恵まれていないのが現実だったそうです。
それについて当時ご両親は、強く反対されていたようそれでも田村氏は「社会運動や平和運動にやりがいを感じていた」と言っています。
こちらの写真は民青同盟の専従として活動しているときです。⇩⇩


こちら⇩⇩、何年のお写真かは不明ですが、おそらく上記のお写真と同じ頃にとられたであろうお写真です。


七夕の夕方のようで、着物姿がとてもお似合いで風情がありますね。
議員秘書時代
1995年に第一子を出産後、日本共産党国会議員団事務局へ勤務されます。


国会秘書として走り回る日々が続きます。
1997年1月、石井郁子衆議院議員の秘書にとして主に教育分野を担当されています。
2002年1月、配置転換で井上美代参議院議員の秘書として、厚生労働(社会保障や労働)分野を担当しました。⇩⇩


2000年、石井郁子議員の秘書として学校図書館を調査している様子⇩⇩


政界へ進出
政界進出には、大学時代に抱いた「核兵器廃絶」への強い思いが大きく影響したそうです。
「なぜ核兵器はなくならないのか」という理不尽さを感じたと田村氏は語っています。
そこに日本共産党が「核兵器は廃絶できる」と呼びかけていたことに「政治を変えることはできるんだ」と感じ、党へ入党。
ここで政界へ進む原点になったことがうかがえますね!!
選挙前の地域集会をしている写真です。(赤色の洋服が田村氏)⇩⇩


かつて足立(中選挙区の東京10区)では、「下町の太陽」と呼ばれた小林マサ子さんのようになりたい。
「下町の太陽」と呼ばれた小林マサ子氏は2008年にお亡くなりになられています。
2代目「下町の太陽」めざし、あったか政治の実現するため日々頑張っていたそうです。
田村氏は1998年を皮切りに国政選挙5回・地方選挙1回の出馬を果たしますが、落選されています。


そして2010年、第22回参議院議員選挙比例代表で個人得票2位となり国政6回目の挑戦で、初当選。




田村氏は学生運動や青年運動を経験し、地道な活動と粘り強さで、国政入りを果たしました。
2024年には日本共産党の女性初の委員長として党を率いています。
現在は、”たむとも”という愛称でyoutube(たむともチャンネル)も開設していて、政治についてや自身についても語っています。
親しみやすい&誰でもわかりやすく説明してくれてるとコメント欄は評判がいいようですよ!!


こちらから⇩⇩たむともチャンネルご覧ください。
https://www.youtube.com/@tamuratomoko
いかがでしたか?今回は田村智子氏の若かりし頃でした。
一つ一つに長年、真剣に取り組める、政界にはなくてはならない存在ですね!
今回は田村氏の人間性が垣間見れたと思います。
今後もたむともスタイルで頑張ってほしいです。
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